秋田で育まれてきた「発酵食文化」とは、一体どんなものなのでしょう?
秋田の発酵食品に関わる方々に、これまでの取り組みと奥深さについてお話を伺いました。
トークディスカッション者紹介
日本酒と食の
ジャーナリスト
山本洋子さん
雑誌編集長を経て地方の食を掘り起こす活動を行う。秋田の食や日本酒が大好きで、足しげく秋田を訪問。
有限会社石孫本店
代表取締役社長
石川裕子さん
160年余り続く味噌醤油醸造元の6代目。手造りの仕込み方法で、地元の原材料にこだわった造りを続ける。
株式会社齋彌酒造店
常務取締役
齋藤眞紀さん
26年前に山梨から齋彌酒造店に嫁ぐ。2年前から蔵の向かいで、発酵食をテーマとしたカフェとショップを運営。
株式会社秋田今野商店
代表取締役社長
今野 宏さん
農学博士。国内外に種麹や酵母菌、乳酸菌などの製造販売を行う。有用微生物の保有菌株数は1万を超える。
それぞれの分野で取り組みを行う あきた発酵ツーリズムの「今」
山本さん(以下山本):秋田の発酵食文化を担う方が勢ぞろいですね。それでは皆さん、自己紹介をお願いします。まずは石孫本店の石川さんから。
石川さん(以下石川):私は47年前に、富山県から嫁いできました。湯沢市は豪雪地帯なので、当時はこんなに寒いところで暮らしていけるのかなと不安に思っていましたが、今ではここの生活のほうが長くなりました。石孫本店は令和2 年春、蔵見学コースや店をリニューアルし、生醤油搾りや味噌ボールづくりなどの体験メニューの提供を始めました。味噌や醤油は私たちの暮らしに欠かせないものですが、何気なく使っている方が多いと思います。ここに来て製法などを見学し、味や香りを実感していただくことで、発酵食文化に興味を持つきっかけになればうれしいなと思っています。
齋藤さん(以下齋藤):私も、26年前に山梨県から秋田にやってきました。雪にはなかなか慣れず不安もありましたが、人生の半分以上過ごし、今は素晴らしさがわかり、感謝しています。2 年前に蔵の向かいの古民家をリノベーションして、「発酵小路 田屋」というカフェとショップをオープンしました。齋彌酒造店がある由利本荘市石脇地区には、味噌醤油醸造元が2軒、特産の本荘うどんの製造会社などがあり、発酵食産業が盛んです。この地域をもっとたくさんの方に知っていただきたいと思っています。
山本:「発酵小路 田屋」の名物は何ですか?
齋藤:齋彌酒造店の仕込み水を使ったパンです。オープン前、何をメインに作るか模索したとき、酒と同様、酵母で発酵するパンを思いつき、水道水と仕込み水でパンを焼いて食べ比べたら明らかに違ったので、これだと思いました。また特産の本荘うどんを食べられる場所が地域にないという声を受け、カフェで提供しています。つゆには近くの醸造元の醤油や塩麹を使っています。今も新メニューをスタッフと開発していますが、お客様に喜んでもらえるように、試行錯誤するのがとても楽しいんですよ。
今野さん(以下今野):秋田今野商店は、以前は酒や醤油を造っていたのですが111年前に種麹の販売を始めました。お酒や味噌、醤油など発酵食はたくさんありますが、その“素Äsl93Äslmult0 もと”を作っている会社は非常に少ないんです。発酵食の素の部分を縁の下で支えている麹菌、酵母菌、乳酸菌などを作っています。
山本:秋田今野商店では、革新的なフラスコを使っているんですよね。
今野:一般的なフラスコは二等辺三角形ですが、私たちは正三角錐のフラスコを開発しました。顕微鏡でよくできた菌を見つけては、フラスコで培養することを繰り返すうちこの形のほうが容積に対して底面積が広いので、胞子の形成がいいとわかりました。当社はこの業界では後発だったのですが、このような技術革新があったからこそ今があると思っています。
奥深い秋田の発酵食文化 “日本一、ぜいたくな味噌!”
山本:石川さんは富山育ちですが、秋田の味噌はいかがでしたか?
石川:北陸の味噌と似ているので、違和感はありませんでした。ただ、秋田の味噌のほうが麹の割合がぐっと多いですね。
今野:お味噌には麹歩合というものがあります。通常は大豆1に対して、米が0.7 ~ 0.8。1に満たないんです。1あれば非常にぜいたくな味噌と言われていますが、秋田では大豆1に対して米3を入れるのが普通で、日本で一番、麹を使うんです。
山本:日本で一番、ぜいたくな味噌はここ秋田にあるんですね!
石川:石孫本店では、お味噌の委託製造を行っています。毎年、農家から米を預かり、そのお宅の1年分の味噌を造るのですが、「ウチのは他よりも、麹を多く入れてください」と、皆さんどこよりも麹を多く入れたがるんです(笑)。
山本:石孫本店には玄米を使った味噌がありますが、玄米を麹に変えるのは難しいことなのでは?
石川:「玄米100%で麹を造って欲しい」という依頼を受けて、いつもどおりの要領で造ったところ、ちゃんと麹ができました。そのため、特に難しいことだと思っていなかったんです…。当社には専門に醸造について勉強してきた職人はいないので、先輩から教わった通りの造りをしているだけなんです。
今野:かなり習熟していないとできないですよね。
石川:秋田県総合食品研究センターの方に教えてもらったのですが、小さい麹ぶたで毎日丁寧に、隅々まで一枚一枚麹菌を繁殖させた米をほぐして、手でしっかりバラバラにする、手のひらを使ってもみこむ作業がいい作用を起こして、自然にそういう麹菌になれる力を生んでいたんじゃないかなと。
麹菌や酵母の力を“見守る”微生物に任せる酒造り
山本:齋彌酒造店の蔵人は農家でもあり、秋に酒米を抱えて蔵入りすると聞いています。
齋藤:はい。でも今はそれだけでは足りないので、契約農家にもお願いしています。良いお米でないと良いお酒はできないので、田植えや成長の途中、稲刈りの時に見てまわり、できたお米は検査に出します。
山本:酵母は30年自家培養されているんですよね。
齋藤:自社で培養している酵母が11 種類ありまして、その年の米の特徴に合わせて酵母を組み合わせています。出品酒も自社酵母で醸造しています。
山本: 造りの特徴は「三無(さんな)い造り」ですよね。
齋藤:弊社の髙橋藤一杜氏が小さなタンクで試験をしていたとき、タンクのなかで自然に対流が起きているのを見たそうです。自然に対流が起きているなら、人間が力を入れる必要はないのではないかと、それ以来、櫂(かい)入れすることをやめました。その当時日本酒業界では「やるべきことをやらないなんて信じられない」と笑われたそうなんですが、当時の社長も杜氏も、酵母の力を信じようということで続けてきました。タンクの中でもろみが反転するのも見えますし、微生物の力は本当に素晴らしいなといつも感じています。酒造りでは一般的とされる搾った後の加水や透明に近づけるためのろ過も行っていません。山内(さんない)杜氏の“さんない”にかけて「山内杜氏による三無い造り」と呼んでいます。
山本:酵母や麹菌の力を見守ってゴールを迎えるということですね。
齋藤:そうするためにはとにかく蔵をきれいにしようと。常に掃除ですね。私もびっくりするくらい蔵人たちは蔵を清潔にしています。私たちは先代から「お客様に〈この値段でこんなにおいしいお酒が飲めるんだ〉と思ってもらえるお酒を造りなさい」といつも言われてきました。その言葉を肝に銘じながら一生懸命取り組んでいます。
カビを傷口に塗って治す!? 秋田のマタギの知恵
山本:海外でペニシリンが発見される前から、秋田のマタギが青カビの力を知っていたと、今野さんが書かれていました。
今野:北秋田市阿仁のマタギの話ですね。ペニシリンは青カビの培養物に含まれている成分ですが、マタギは山に入るとき、ご飯やお餅に生えたカビを持って行き、ケガをしたときに傷口に塗って治療していたそうです。そんな知恵をマタギの人たちが伝承していたと聞いたときにはびっくりしました。昨日今日できた「発酵の国・秋田」ではなくて、やはり素養があったんだと思います。それだけ発酵が暮らしに身近なものだったということですよね。
山本:昔から菌を感じる能力が秋田の人にはあるんですね。本当に驚きです!
倒壊した蔵から酵母を培養 未来につなげた伝統の味
山本:石孫本店の蔵が倒壊したとき、秋田今野商店が活躍されたそうですね。
石川:そうなんです。東日本大震災のとき、醤油のもろみを格納していた一番大事な蔵の屋根が崩れ、蔵が倒壊しました。「もう醤油は造れないのでは」と途方に暮れ、今野さんにご相談したんです。すると「状態の良いもろみを持ってきてくれたら、培養してみます」と。すぐに主人ともろみを持って行きました。
山本:わらにもすがる思いだったでしょう。
石川:まさにそうでした。その後、培養できたというご連絡をいただいて、秋田今野商店に改めて伺いました。それまでいつも、蔵見学にいらっしゃったお客様に「蔵には桶や壁にも酵母がいて、その働きのおかげで醤油ができるんですよ」と説明していましたが、初めてその「酵母」に会えました。大変驚くことに、まさにうちの蔵の香りがしたんですよ。
山本:いつも近くにいたけど、姿を確認できたのは初めてだったんですね。
石川:そうなんです(笑)。一番大きな蔵が倒壊したのは残念で、大きな損失でした。でも、そのことがあったことで酵母に出会うことができたのは、とてもうれしかったです。
今野: 蔵にいる酵母は蔵ごとに全部違います。属種ではなく株なんですよ。石孫さんの酵母は、ほかにはない、唯一無二なものなんです。
秋田の発酵食文化を守り続け そして伝えていくために
今野:秋田今野商店には「温故知新」という社訓があります。古いものには種がたくさんあり、新しいものを追いかけなくても足元に宝物がたくさんあります。足元をしっかり見ながら、発酵の分野だけでなくいろいろな産業に当社の技術を活かしていきたいと考えています。世界中から依頼を頂く機会がありますし、技術力があれば仕事が来ることを信じて、当社でしかできない仕事にチャレンジしていきたいと思っています。
石川:年に数回「石孫の味噌を使うようになってから、子どもが味噌汁を積極的に食べるようになった」という感謝の電話をいただきます。味噌や醤油はその家庭の味の基礎となるものです。これまで受け継いできた伝統を、できるだけそのまま伝えたいと思う一方で、新しいことにも挑戦したいと思っています。職人たちも麹を造る過程で温度を変えてみたり、以前は造りの間に1度しか洗わなかった麹ぶたを毎週洗って熱殺菌し、繰り返し使ったりとやり方を少しずつ変えています。これからも、蔵人たちと一丸となって、良いものを将来に伝え続けるために挑戦していきます。
齋藤:私は「発酵のテーマパーク」を目指したいです。蔵を見学した後に、カフェで発酵食満載の料理やスイーツを召し上がってもらい、ショップで秋田のお土産のお買い物を楽しんでもらう。短時間で五感で楽しむことができる施設になれたらと考えています。また、県内の他の発酵施設とも連携して、秋田の発酵食文化を盛り上げていきたいです。